ひかり

寒い日が続いていますね。


少し前から降り始めた雪を見て、先輩が一言

「ほこりが降ってる」

と言ったかと思ったら、

数時間後、どんどんと強まる雪と
曇る窓ガラスの外を眺めてまた

「銀世界だよ」

と言われて、思わず笑ってしまいました。


確かに雪は

空のホコリでもあるし、
銀世界を作る神秘的なものでもある。

どちらも正解なのです。
表現の仕方が違うだけで。

そして表現の仕方、とは
その人のものの見方と関係していると言っても
いいのではないかと思うのです。

人が違えば見方も違う。
となりの芝生が青く見える原理は、
意外なほどシンプルです。



私には、妹がいるのですが、
彼女のことをずっと自由な人だと思って来ました。

姉のことをよく見ているからか、
どうすれば親と上手く付き合えるのかがとても良くわかっている。
そしてどんなに家の中で好き勝手にやっても、
外では許されるラインを見極める目を持っていたりもする。
親との付き合い方を外でも上手く活用している訳です。


ひたすらに道を作り続けて来て
衝突を繰り返していた私からすれば、
とても自由に気楽にやっているように見えた。


けれど実際はそうではなかったのです。


それが少しずつ分かり始めたのは、
彼女のホロスコープを見た時でした。



彼女の月は、水瓶座にあります。
水瓶座は、社会を超えた視点で物事を見る性質を持っています。

社会からさらに高次を目指したい。
そこに縛られることなく、自分を発揮したい。

本質がそこにある、ということは、
素の自分は、
大きな組織に縛られることを窮屈に感じることがあるということです。

思い返せば確かにあったのです。
彼女の幼少期、ストレスを感じていた時期が。

本人がそうしたくないのに
常識に縛り付けようとすると、
その負荷はわかりやすく身体に出るようになっていたのです。

心の負荷が身体に現れる。
これは誰でもそうだと思うのですが、
彼女の月がそうさせていた理由の一つと思うと納得できます。


一番古い幼少の記憶から最近の新しいものまで、
現実に起こっていること、彼女がしていることを見ると、
確かに水瓶座らしいと思うことばかりで、
色々な疑問のタネ明かしをされているように思えてならないのです。

だからこそ、窮屈に感じるようで、
彼女は月獅子座の私を見て、
なんて自由で突拍子もない姉なんだろうと思っていたようです。

しかし当の姉は、そんな自覚もなく。
獅子座は自己表現の星座ですが、
自分の中では自己表現しているという感覚すらなかったのです。
むしろ周りの目が気になっていたくらい。
(この周りの目を気にするというのもまた、
他人の賞賛や評価に敏感な獅子座らしい性質なのですが)


そのようなもの、のようなのです。


人から見た自分というのは、
どの人からも違って見えるし、
なぜか羨ましいところがピックアップされる。

それは事実なのかもしれないけれど、
でもただの一側面でしかない。
その人の全てではないのです。

どこかでそれをわかっていても、
それでも人は、隣の芝生の青さに目を奪われてしまったりする。


でも実は、青くないと思っていた自分の芝生が青かったとしたら。
枯れていると思っていた庭を素晴らしいと思っている誰かがいるとしたら。


雪がホコリであり、銀世界の一部であるように
私たちもまた、宇宙の埃であり、
銀河を形成する星の一つなのです。


そう思えたら、輝かずにはいられない。
目線を変えれば誰だってみんな
宇宙の中の唯一無二の星なのだから。


だからこそもっともっと輝いて、
さらに明るく照らして行きましょう。


そうすればきっと
見たことのない光が見えてくるはずです。